2008年11月20日(木) 18:30~20:45
会場 :広島県情報プラザ融合化センター
参加者:30名フリーランス・インハウスデザイナー 行政関係者
発表者
納島 克宗(のうじままさひろ/JAGDA)(有)ロケッツ代表
デザインのプロフェッションを問う…アマチュア化の現状と改革の視点
山田 晃三(やまだこうぞう/JIDA)(株)GKデザイン総研広島 取締役社長
産業デザインから環境デザインへ…物質的豊かさから精神的豊かさの視点
川上 佳代(かわかみかよ/JAGDA)(有)コンセプトワーク代表
若手デザイナーが育つ環境って?…デザイナーのシゴトの理想と現状
モデレーター
内田 亮(うちだあきら/JIDA)デザインコンサルタント
はじめにJIDA西日本ブロック事務局長の大橋啓一さんより、今回のJIDA/JAGDA共催による合同サロン開催に至る経緯の説明があり、続いてJAGDA広島地区代表幹事の川原芳夫さんから、サロンに対する期待、特に最近勢いを増して来たWebデザインに関する情報交換を期待する旨の挨拶があった。
引き続き上記3名の発表者が、各自15分の持ち時間でプレゼンテーションを行い、その後、会場の参加者も交えた質疑応答を行った。
今回は、発表内容について予め打ち合わせをせず、発表者の自由裁量に任せたので、デザイン事務所の労務環境の現状から、地方デザイナーの実力アップ施策、さらにはモノや時間に対する日本人の精神性まで、発表されたテーマや視点は多岐に渡った。
その後の質疑応答はさらに討論の幅が広がり、会場の参加者からも活発な意見が出され、予定時間ぎりぎりまで、議論は沸騰した。
最後に、今回の第1回に続き、より未来志向で建設的な方向で、JAGDA/JIDAサロンの継続を図る旨、拍手を以って賛同された。
納島 克宗
昨今デジタル化が進んで、デザイナーという窓口が非常に広くなった。その中で、プロとしての資質にかけるデザイナーも時折見受けられる。ではプロのデザイナーとはどういう人かと問われると、クライアントが、その仕事に対して対価を払って当然だと、納得できるビジネスをなし得るデザイナーであることが、前提であると思う。
デザイナーには、国家試験も、資格や免状も必要なく、自らデザイナーと名乗ればデザイナーになってしまうという妙な業界だが、だからこそ、襟元を正してプロの意識を持たなくてはいけないと、認識している。
先日、あるもみじ饅頭のメーカーが、東京の一流デザイナーにパッケージのデザインを発注したということを知り、どのような作品を制作されるのかを非常に楽しみにしている。私も敬愛するデザイナーに、広島土産をデザインしていただくこと自体は良いことだと思う、しかし逆に何故広島のデザイナーに仕事が来なかったのかという疑問を持つにいたる。
我々のクライアントの多くは中小企業だが、彼らは、広島という市場だけを考えるのではなく、日本全国、場合によっては全世界を相手に、一生懸命商品を開発している。それに対して、我々デザイナーが、狭い広島商圏内という小さいマーケットだけを指向していて良いのかという疑問がある。
さらに、中小企業の懸命さに較べて、デザイナーは狭い商圏内で、お互い脚の引っ張り合いをしたり仕事の取り合いをやっている。これでは業界として進歩が無いと思う。
これはどこから来ているかというと、作品とデザイナーの顔が一致しないということから来ている。デザイナーの顔が見えないという状況は良くない。そのデザイナーがどういう作品を作り、どんな仕事をやってきたかというのは、我々デザイナーが今そこに生きている証しでもある。
では何故ローカルのデザイナーの顔が見えないかというと、結局はデザイナーが自己投資していないからだと思う。例えば、デザイナーでありながら、毎年出るJAGDA年鑑や専門書を買わない人もいる。こういう人はデザインに興味が無いのかも知れない。
JAGDAの会員数は約2400名だが、そのうち50%が東京の会員だ。ところが、「グラフィックデザイン ジャパン」という年鑑の掲載作品の90%は、東京のデザイナーの作品で、東京以外のいわゆるローカルのデザイナーの作品は、10%に過ぎないという事実がある。これには自主制作も入っているので、東京の課題がいい課題だからという訳ではない。厳しい審査を勝ち抜く体力とアイデアに富むデザイナーが、これに載るということであれば、会員数の比率からみて、ローカルで50%は占めたい。なぜこうなるのか? そこにあるのはやはりローカルデザイナーの怠慢としか思えない。競い合うことをしないのが、ローカルのデザイナーの特質だと思う。
東京のデザイナーはコンペも非常に積極的にやって、その中で鍛えられて行くし、他のデザイナーを見ることによって勉強し、切磋琢磨している人が多い。そのような環境が広島にあるのかという疑問を持っている。
そこで現在、「広島アートディレクタークラブ(HADC)」という、コンペティションの仕組みを作っている。JIDAとかJAGDAのような組織でやるのではなく、全くの個人でコンペに応募してもらう。広島の既存の広告賞などと大きく違うところは、審査員に地元の人を入れず、東京からトップランナーの方に審査に来てもらい、しかも作品の制作者名を伏せた形で、純粋に表現力と構成力だけで評価してもらう。
このようなアートディレクタークラブ(ADC)の動きは、富山で始まり、結果として富山のデザイナーのクリエイティビティが飛躍的にレベルアップし、そのコンペに向けて各々の作品をブラッシュアップしていくようになった。誰にでも門戸が開かれているので、新人がグランプリを取る可能性もあり、現に富山ではそうなった。
ADCでは、グランプリを取ったデザイナーのみ、例外的に地元から翌年の審査員として参加するというルールを設けている。
こういう経過を経て、ADCは札幌、新潟に飛び火し、現在広島が4番目の準備を進めている。
基本的なコンセプトは「才能ある若者の発掘とベテランデザイナーの更なる充実」。
地方のADCは審査員を通じて東京ADCと直結しているので、地方に居ながら東京の仕事をやっているデザイナーも出てきている。
コンペの結果は年鑑として各企業に配布して、広島のデザイナー各自の能力をアピールするツールとして活用する。ある意味では、ベテランデザイナーにとっては脅威でもある訳だが、若者の挑戦を受け止めて努力しなくては向上しないと思うので、このコンペにほとんどの広島のデザイナーが参加することにより、広島のデザイナーを全国に知らしめていきたい。
2009年の2月7日に第1回のコンペを行う予定。
山田 晃三
「産業デザイン」とは、産業の振興のためのデザインという意味において、JIDAもJAGDAも現在、経産省の傘下にある団体である。経産省は以前は通産省と云い、更に前は商工省といっていた。この商工省の商、商業をとって、商業デザインといっていたのがグラフィックデザインであり、工業デザインはインダストリアルデザインとなった。
工業と商業の違いは、工業はモノづくりであり、商業はそれを流通販売させるということで、商業デザインは情報を扱う。いずれも産業のためのデザインだ。今日は、その「産業のためのデザイン」から「環境のためのデザインへ」というタイトルで話したい。副題は「物質的豊かさから精神的豊かさの視点」である。与えられた課題、現状の認識については、レジュメに示した通りである。
(ここからは、今年8月上海で開催された国際デザインビエンナーレのフォーラムに於いて、中国のデザイナー、学生、及び中国で仕事をしている各国のデザイナーに対し行った、発表内容を要約して説明し、提言としたい。)
(Q=質問 A=答え C=意見、提案)
Q納島さんにお尋ねしますが、Webデザイナーの領域が拡がって、グラフィックデザインの領域まで進出して来ているとのお話ですが、実際にはどういう仕事の領域をやっていますか? 広島辺りでも同様でしょうか?
A私のところでは、両者のカテゴリーを分けません。Webデザインにおいてもグラフィックの技術は本当に必要です。いわゆるビジュアルコミュニケーションということで、何ら変わりません。線引きするのはナンセンスだと思います。最近はブランディングデザインの仕事も多くなっていますが、そこでトータルなVIをさせてもらう場合は、パッケージ、Web、ポスターなど全てをトータルにコントロールできないと、パーツ毎にしか請けられません。企業を元気よくするためには、企業の不足分をデザインで補うというのが私の持論なので、カテゴリー分けはしません。
C川上さんから「なんでこんなに遅くまで仕事しなけりゃいけないのか」っていう話がありましたが、これに関連して一言。「時間というのは、どの時点をとっても均等な早さで刻む」という概念は、まさに太陽暦のもので、時計とともにこれが入ってきたのは数百年前です。月の動きというのは、これとは違います。 嘗てわれわれの祖先は、時間とは伸縮するものだという考え方を持っていました。例えば、「アッという間に朝が来ていた」などという残業は、ある意味では残業とは言えないとも考えられる訳です。何しろアッという間に過ぎる時間というのは、楽しいに違いないからです。苦しい仕事なら、時間が物凄く長く感じられる筈です。このように、時間というものが伸びたり縮んだりするということを、デザイナーは一番知っているべきで、それによって快適な空間をつくったり、時間を自在にコントロールできるのがデザイナーの仕事でしょう。特にフリーランスだったら、時間をコントロールし、楽しく仕事をすることができると思います。
C仕事が楽しくない訳ではないのです。ただ、限られた時間内にやらなくてはいけない仕事が、短納期であるが故に、多すぎる気がします。確かに毎日はアッという間に過ぎていきます。これからは、みんなが楽しくてしょうがなくて仕事をしていると認識して、接していきましょう。
Cちょっと異論があります。デジタル化に伴ってシンドイ人はシンドイですよ。というのは、デザインではない嫌いなことをやらされているという気分の人がいるわけです。デザインはコミュニケーション作業なので、クライアントのことを本当に考慮できないで、単純な労働になってしまうと潰れてしまう。その仕事の意義を、先を見据えて考え、クライアントにとっての貢献をイメージしつつやると、大分違うような気がします。ちょっと綺麗ごとに過ぎるかもしれませんが。
C8年前に会社勤めを辞めて、以来フリーランスとして一人でグラフィックをやっているのですが、この仕事は、謂わば狩猟民族の生き方なのです。農耕民族である企業内デザイナーの場合は、時計や暦が生活のリズムを支配しているのに対し、フリーの場合は、ちょうど狩りが終わるまでは休みが無いように、作品が完成するまでは仕事に終わりがこない訳です。そのかわり、仕事が終われば、次の仕事が入るまでは、全く自分の好きなように時間を使えるのです。夜も昼も無く自由な生活パターンには、それなりの良さがあるものです。この狩猟民族的な楽しさをアピールするというのも、若い人達を惹きつけ納得させる手段になり得ると、個人的には思いますが。
C狩猟でも、チームプレーでやらねばならない場合があるので、その場合は時間的な軸が必要になると思います。
C農耕ではなくて狩猟というのは、ちょっと乱暴な気がします。歴史的に見ても、確かに最初は狩猟で食料を得ていたのが、それではたくさんの人間が喰っていけないというので、よりシステマティックな農耕という手段で、ものを調達するようになり、やがて現在のような社会になったのです。会社を経営していくにも、狩猟ばかりでは立ち行かなくなりますよ。むしろ、農耕であるビジネスの中に、狩猟的面白さをどう見つけられかというのが、テクニックの要るところだし、その辺の事情を若い人達に説明していく必要もあると思います。 もうひとつ、時間の軸をコントロールするものに、美というものがあります。美しいものがそばにあると、時間はアッという間に過ぎるし、醜いものがあるとなかなか時間が経たない。何故かというと、美しいものには何故美しいのかを追求したくなる気持ちが常に働くからです。もっと近づいて調査したい、どうしたら近づけるかと考えているうちに、どんどん時間が経つのです。だから、そういう風に時間をコントロールできるような美しいものを、これからは作っていくべきだと思うのです。
QWebデザインについての考えですが、Webデザインの世界はちょっと危険な気がします。というのは、私は仕事をする時に、自分自身の精神的な支柱というか、何かぶれない思想を持って戦っていきたいのですが、現在はそれを探す時、すぐにネットを検索して、自分の外に答えを求めるような社会になっています。しかし、実は本当の情報というのは、幼い頃から積み重ねられた美しいものに対する感動のように、自分の内にこそあるもので、そういうものを取り戻す行き方をとらないと、重要な情報は得られないと思うのです。Webデザインというのは、情報を世の中に向かって大量に出し続けている訳ですが、そのWebデザインの中身が、どうしたら意味ある情報になるのかを、JAGDAの人に答えて欲しいのですが。どうもWebデザインの情報は信頼できるものが無いように思うのです。
AWebデザインには信頼できる情報が無いとの指摘ですが、Webというのは5感ではなく、視覚と精々聴覚による2感によって行われています。そこに危うさがあると思います。つまりは、アナログでないものは信じられないということでしょう。これを改善していくためには、Webデザインも極力双方向のコミュニケーションを重視した手法、またユーザーのことを本当に考慮した仕組みにする必要があるでしょう。ということは、逆に表現はシンプルになると思います。
AたしかにWebデザインはここに来てシンプルになってきています。そしてシンプルになった分、よりインタラクティブさが求められるようになっています。だから格好良いデザインを作ったのではダメで、とにかく双方向で意見がいえる、例えばSNS(Social Network Service)のような、要は双方向のコミュニケーションツールが流行りつつあります。
Q今までのところ、どうもグラフィックの方がIDに較べて、若い人の定着率が低いとか、満足度や仕事の楽しさが少ないと思っている人が多いように感じるのですが、JAGDA関係の方で補足のご意見がございませんか。
Aこのグラフィック業界に 20年近く居り、3年前に独立して現在フリーランスですが、確かに収入面では厳しいとは思っていますけど、仕事は毎日楽しいです。サラリーマン時代もコスト面だとか、中間管理職的な仕事もしましたが、会社に行きたくないなどとは思ったこともないし、余りネガティブには考えてないので、悲壮感はありません。今日の話を聴いていて、IDとグラフィックの業務では、発注から納品までのワークフローの違いとか、ギャランティーの違いやいわゆる権利に対する意識の差があって、グラフィックの場合は「やらされている感」が業界にはびこっているのかなという感じがします。グラフィックデザイナーというのは、広告を作って社会に発表しても、そのレスポンスに対して責任を取らなくてもいい訳です。ということは、ある意味でデザインに対して無責任でいられるということです。この無責任でいられるということは、当然ギャラにも反映しています。IDの場合はどうなっているのかは分りませんが、グラフィックの現状を受け容れたうえで、取り敢えず毎日が楽しいと思っています。
QIDも結構毎日が苦しい場合もあると思いますが、IDの方ご意見をどうぞ。
AIDを長くやっていますが、続ける理由はあります。大体はIDも楽しくないのです。95%は楽しくないですね。嫌なこと、例えば費用を値切られたり、嫌な仕事を押し付けられたりといったことを呑みながら、それでも途中で投げ出さなかったという誇りがひとつ、これはある種の楽しさに転化できることです。もうひとつは個人的には大きなことですが、大体においてデザインというのは、始める前の条件はデタラメで矛盾をかかえた部分が多いものです。その矛盾だらけでどこから手を付けるべきかも分らないもつれた状態から出発して、ある程度形が見えて来る段階に達する過程、つまりお互いの意志の疎通ができかかった時点までは、全工程の1/3くらいですが、ここまでは楽しいものです。それ以降の生産のための雑用や調整の業務は楽しくはありませんが、最初の謎解きの部分は、自分独特のある種の個性の発揮が自覚でき、楽しくもありまた 次に?がるエネルギーともなるものです。
C先程、グラフィックデザイナーの責任の軽さについて発言がありました。私も、IDとグラフィックを比較すると、デザイナーの仕事の結果がどこまで及ぶかという点で、責任の重さに違いがあると思います。IDの場合は、商品となっても極端に売れなかったり、ユーザーに渡った後も、例えば不具合や欠陥が生じたりすれば、プランナーを含めてデザイナーも責任を感じなければなりませんが、グラフィックの場合は、商品や情報をユーザーに知らしめることが目的なので、極端にいえば、誤解を与えるような広告を作らない限り、責任を問われることはないといえるでしょう。
C私は長く車のプランナーとして物造りに携わってきて、現在はWebの会社でグラフィックを扱っています。いわば両方を経験しているのですが、物造りからWebに移る時には、実から虚の世界に入っていくような気がしたのですが、実際にやってみたらちっとも変わらないなというのが実感です。何故同じかというと、実はエンドユーザーは同じなのです。製品が語りかける相手も、グラフィックが語り掛ける相手も同じユーザーなのです。そこで、先程の「責任が有る、無い」の議論への反論になるのですが、現在Webで問われているのは責任です。実は、Webサイトを作ってWebに載せた瞬間からが始まりです。作ったら終わりではないのです。そこからクライアントに対して責任を持って、クライアントの心を伝え、そのモノやサービスによって、ユーザーの生活にどんな満足が与えられるかを、どこまで伝えられるかが勝負です。更にその後も、ユーザーからのレスポンスが日々返って来ますから、どれだけクライアントとユーザーの間にコミュニケーションが取れたかが分るわけです。それに対して全部責任を持って対応しなければなりません。日々デザインやレイアウトや言葉も変えていかなければなりません。実はそこでお金が貰えるのです。今は、制作費よりその後の方がコンサルティングとしてお金がたくさん入ってきます。そういう意味で、物凄く責任が有るのです。ところで、忙しい忙しいという話ですが、なんで忙しいのでしょうか。それはクライアントからやり直しとか変更がたくさん入ってきて、スケジュールがタイトになってくるからですが、実はクライアントとの間で、最初がきちっとできていない。目的、コンセプト、ターゲットユーザーなどがはっきりしてないからで、これらをきちっと決めておけば、そんなに狂わないでデザインは出来てしまうものです。このマネジメントがデザインにとっては非常に大事なのですが、発注書を出すクライアント側にその力がない。出来上がらないと判断できない。そこで、我々が相手の気持ちになってきちっとマネジメントをやってやれば、そんなに無駄な時間を費やすことなく、もっと面白いクリエイティブなところに時間を使い、やればやるほど評価も上がり儲かるわけです。この部分のマネジメントが最も大切なのです。
C全く同感です。IDの場合はモノを作るので、人の命にまで関わるような責任がある訳ですが、我々グラフィックの場合は、企業の生き死にに関わる責任があると考えます。フラットなちらしやハガキだけを手がけているデザイナーはそれなりですが、本当に企業の背骨まで入っていって、経営者と対等に渡り合い、曲がった背骨を真っすぐにできるデザイナーが生き残るのは当然だと思います。
C今日は、デザイン業の現状がかなりよく見えてきたのですが、未来を考える時、クライアントとのチカラ関係が問題です。クライアントの力がデザイナーより上にある場合はたいへんなのです。どうしたらクライアントより上に行けるかということを、常に考えている必要があります。先程東京の著名なデザイナーって話が出てきましたが、それはチカラ関係でしかないのです。やっぱり地方にいると力が弱いと思われているし、本当にそうなのかも知れません。それを越えるにはどうしたらいいかを考える訳ですが、例えば何かを頼まれた場合、ただ頼まれたものを形にして渡すだけでは、もうデザインの仕事は成立しないのではないかと思います。その時に何か別のものを渡して、「流石ですね!」とか「あれ!」とか「眼から鱗が落ちた!」とか、何か一言クライアントに言わせなくては、上には立てないのではないでしょうか。それが思想とか生き方であれ、なにか本当に今大事にしなければならないものは何かというメッセージぐらいは、どんな仕事であっても、返すものの上に載せて提供しないかぎり、チカラ関係は変わらないと思います。時には、たった一言がえらいクライアントを変えることもあるし、その関係が大きく逆転することもあり得ます。自分の中にそういう力を持つためには、東京や中央を見るのではなく、或いはネットの中の情報で最新のものを探すようなやり方ではなく、この広島なら広島、或いは自分の内側といったところを探っていかないと、デザイナーの力はつかないと思っています。
最近ある美学者がいっていた言葉ですが、芸術はもう崩壊しているというのです。というのは、価値が判らなくなっているからです。それはやはり情報化から来ているのです。芸術がもはや創造ではなくて選択になってしまっているというのです。 同じことがデザインの世界にも来ていると思うのです。ものごとを選び、決定するだけでデザインをしたと思い込んでしまう。創造こそがデザインだということを忘れてしまっているのです。 今日はいろいろな話が出てきましたが、次のサロンについては、JAGDAとJIDAで協議して、より未来に向けての創造的な発言を期待できるように、計画したいと思いますので、是非ご参加下さい。本日はありがとうございました。
以上文責 内田 亮