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2008年度第1回サロン JIDA×JAGDA 分野を超えて語り合う「デザイン業の現状と未来」

2008年11月20日(木) 18:30~20:45
会場 :広島県情報プラザ融合化センター
参加者:30名フリーランス・インハウスデザイナー 行政関係者

発表者
納島 克宗(のうじままさひろ/JAGDA)(有)ロケッツ代表
 デザインのプロフェッションを問う…アマチュア化の現状と改革の視点

山田 晃三(やまだこうぞう/JIDA)(株)GKデザイン総研広島 取締役社長
 産業デザインから環境デザインへ…物質的豊かさから精神的豊かさの視点

川上 佳代(かわかみかよ/JAGDA)(有)コンセプトワーク代表
 若手デザイナーが育つ環境って?…デザイナーのシゴトの理想と現状

モデレーター
内田 亮(うちだあきら/JIDA)デザインコンサルタント

概要

はじめにJIDA西日本ブロック事務局長の大橋啓一さんより、今回のJIDA/JAGDA共催による合同サロン開催に至る経緯の説明があり、続いてJAGDA広島地区代表幹事の川原芳夫さんから、サロンに対する期待、特に最近勢いを増して来たWebデザインに関する情報交換を期待する旨の挨拶があった。
引き続き上記3名の発表者が、各自15分の持ち時間でプレゼンテーションを行い、その後、会場の参加者も交えた質疑応答を行った。
今回は、発表内容について予め打ち合わせをせず、発表者の自由裁量に任せたので、デザイン事務所の労務環境の現状から、地方デザイナーの実力アップ施策、さらにはモノや時間に対する日本人の精神性まで、発表されたテーマや視点は多岐に渡った。
その後の質疑応答はさらに討論の幅が広がり、会場の参加者からも活発な意見が出され、予定時間ぎりぎりまで、議論は沸騰した。
最後に、今回の第1回に続き、より未来志向で建設的な方向で、JAGDA/JIDAサロンの継続を図る旨、拍手を以って賛同された。

発表内容

デザインのプロフェッションを問う…アマチュア化の現状と改革の視点

納島 克宗

昨今デジタル化が進んで、デザイナーという窓口が非常に広くなった。その中で、プロとしての資質にかけるデザイナーも時折見受けられる。ではプロのデザイナーとはどういう人かと問われると、クライアントが、その仕事に対して対価を払って当然だと、納得できるビジネスをなし得るデザイナーであることが、前提であると思う。
 デザイナーには、国家試験も、資格や免状も必要なく、自らデザイナーと名乗ればデザイナーになってしまうという妙な業界だが、だからこそ、襟元を正してプロの意識を持たなくてはいけないと、認識している。
 先日、あるもみじ饅頭のメーカーが、東京の一流デザイナーにパッケージのデザインを発注したということを知り、どのような作品を制作されるのかを非常に楽しみにしている。私も敬愛するデザイナーに、広島土産をデザインしていただくこと自体は良いことだと思う、しかし逆に何故広島のデザイナーに仕事が来なかったのかという疑問を持つにいたる。
 我々のクライアントの多くは中小企業だが、彼らは、広島という市場だけを考えるのではなく、日本全国、場合によっては全世界を相手に、一生懸命商品を開発している。それに対して、我々デザイナーが、狭い広島商圏内という小さいマーケットだけを指向していて良いのかという疑問がある。
 さらに、中小企業の懸命さに較べて、デザイナーは狭い商圏内で、お互い脚の引っ張り合いをしたり仕事の取り合いをやっている。これでは業界として進歩が無いと思う。
 これはどこから来ているかというと、作品とデザイナーの顔が一致しないということから来ている。デザイナーの顔が見えないという状況は良くない。そのデザイナーがどういう作品を作り、どんな仕事をやってきたかというのは、我々デザイナーが今そこに生きている証しでもある。
では何故ローカルのデザイナーの顔が見えないかというと、結局はデザイナーが自己投資していないからだと思う。例えば、デザイナーでありながら、毎年出るJAGDA年鑑や専門書を買わない人もいる。こういう人はデザインに興味が無いのかも知れない。
JAGDAの会員数は約2400名だが、そのうち50%が東京の会員だ。ところが、「グラフィックデザイン ジャパン」という年鑑の掲載作品の90%は、東京のデザイナーの作品で、東京以外のいわゆるローカルのデザイナーの作品は、10%に過ぎないという事実がある。これには自主制作も入っているので、東京の課題がいい課題だからという訳ではない。厳しい審査を勝ち抜く体力とアイデアに富むデザイナーが、これに載るということであれば、会員数の比率からみて、ローカルで50%は占めたい。なぜこうなるのか? そこにあるのはやはりローカルデザイナーの怠慢としか思えない。競い合うことをしないのが、ローカルのデザイナーの特質だと思う。
東京のデザイナーはコンペも非常に積極的にやって、その中で鍛えられて行くし、他のデザイナーを見ることによって勉強し、切磋琢磨している人が多い。そのような環境が広島にあるのかという疑問を持っている。
そこで現在、「広島アートディレクタークラブ(HADC)」という、コンペティションの仕組みを作っている。JIDAとかJAGDAのような組織でやるのではなく、全くの個人でコンペに応募してもらう。広島の既存の広告賞などと大きく違うところは、審査員に地元の人を入れず、東京からトップランナーの方に審査に来てもらい、しかも作品の制作者名を伏せた形で、純粋に表現力と構成力だけで評価してもらう。
このようなアートディレクタークラブ(ADC)の動きは、富山で始まり、結果として富山のデザイナーのクリエイティビティが飛躍的にレベルアップし、そのコンペに向けて各々の作品をブラッシュアップしていくようになった。誰にでも門戸が開かれているので、新人がグランプリを取る可能性もあり、現に富山ではそうなった。
ADCでは、グランプリを取ったデザイナーのみ、例外的に地元から翌年の審査員として参加するというルールを設けている。
こういう経過を経て、ADCは札幌、新潟に飛び火し、現在広島が4番目の準備を進めている。
基本的なコンセプトは「才能ある若者の発掘とベテランデザイナーの更なる充実」。
地方のADCは審査員を通じて東京ADCと直結しているので、地方に居ながら東京の仕事をやっているデザイナーも出てきている。
コンペの結果は年鑑として各企業に配布して、広島のデザイナー各自の能力をアピールするツールとして活用する。ある意味では、ベテランデザイナーにとっては脅威でもある訳だが、若者の挑戦を受け止めて努力しなくては向上しないと思うので、このコンペにほとんどの広島のデザイナーが参加することにより、広島のデザイナーを全国に知らしめていきたい。
2009年の2月7日に第1回のコンペを行う予定。

産業デザインから環境デザインへ…物質的豊かさから精神的豊かさの視点

山田 晃三 

「産業デザイン」とは、産業の振興のためのデザインという意味において、JIDAもJAGDAも現在、経産省の傘下にある団体である。経産省は以前は通産省と云い、更に前は商工省といっていた。この商工省の商、商業をとって、商業デザインといっていたのがグラフィックデザインであり、工業デザインはインダストリアルデザインとなった。
工業と商業の違いは、工業はモノづくりであり、商業はそれを流通販売させるということで、商業デザインは情報を扱う。いずれも産業のためのデザインだ。今日は、その「産業のためのデザイン」から「環境のためのデザインへ」というタイトルで話したい。副題は「物質的豊かさから精神的豊かさの視点」である。与えられた課題、現状の認識については、レジュメに示した通りである。
(ここからは、今年8月上海で開催された国際デザインビエンナーレのフォーラムに於いて、中国のデザイナー、学生、及び中国で仕事をしている各国のデザイナーに対し行った、発表内容を要約して説明し、提言としたい。)

  • まず戦後日本の産業とデザインの歩みから話しを始めたい。
  • 1945年太平洋戦争に負けた日本はゼロから国造りを始めた。その時進駐してきたアメリカ軍によってモノの豊かさ、物質文明への憧れが植え付けられて、これが実はその復興のエネルギーになったと思う。明らかに、魅力的なモノに囲まれて暮らすことが、幸せへの近道なのだと信じた。日本は、産業の発展を国力形成の第一の目標とした。
  • 1960年代はモノを生産し消費することを美徳とした時代である。産業デザインは多くの人々の欲望を充分に掻き立てたと言える。こうして日本は経済大国への道を歩み続けた。
  • 64年の東京オリンピックを機に、高速道路や新幹線が生まれ、国際社会への復帰をアピールした。さらに70年には大阪万博が開かれ、建築からグラフィック、プロダクトデザインまで、まさにデザインの祭典であった。この時期は国が燃え、経済とともに国が成長していくのを実感した。
  • ところが74年に、中東から石油が来ないというだけで、経済はお手上げになってしまう。オイルショックによる初めての景気後退を経験した。しかし日本はこのオイルショックを機に、マイコンをはじめとする電子技術を蓄積した。世界に先駆け電子立国となったが故に、実はこの後日本は、モノづくりの大国になっていく。この時出現したのが、非常にコンパクトで性能の良い「メイドインジャパン」と呼ばれるモノたちである。
  • その後86年には、一人当たりの国民総生産がアメリカを追い越すまでになったが、ここでバブルが弾けて92年以降、経済は低迷したまま現代に至っている。
  • よくよく周りを見てみると、あの戦後間もない頃、僕らが憧れたモノたちが今、僕らを取り囲んでいる。物質的な豊かさは享受され、もはや欲しいものは無い。また一方で、どう考えても昔の方が仕事が楽だった気がする。時間にも余裕があった。新幹線の速度が上がれば上がるほど、忙しさから解放されない。コンピュータが入れば仕事の量が増える。寝る間も惜しみ働いている今がある。
  • さらに環境の破壊は、時にあの戦争によってモノが破壊された情景とダブッて見えるほどの惨状を呈する。高度成長期、産業こそが僕らを豊かにしてくれると信じていたから、環境の問題は念頭になかった。
  • この環境の問題は、自然と人間とのコミュニケーションの回路が、閉ざされてしまっている状況といっていい。同様に、人とモノの間も、緊密なコミュニケーションできていた筈なのに、モノが増えたと反対に、関係は遠くに行ってしまった。
  • かつて日本には、自然には神が宿るという思想があり、またモノには心があると考えていた。人と自然、人とモノの関係の作り方に於いて、日本は独自の文化を持っていたと思う。自然を人間から切り離して考えるようなことはしない。動物、植物、道具に至るまで、それらが発する小さな声に耳を傾ける感性を大切にしていた。これはかつて祖先が持ち合わせていた精神的な環境ではなかったかと思う。(ここで、私が昨年広島の釣具店の屋上にデザインした“月のサイン”を紹介し、中国の人達への一つの視点を提示した。)
  • この月はコンピュータでLEDが制御され、日毎の正しい月齢をリアルに表示する。釣師にとって、月齢に支配される潮の満ち干は大きな関心事で、釣具店のサインとして相応しいという理由とともに、もう一つの理由がある。
  • それは、先人が大切にしていた月との暮らしを、都市が今一度取り戻すべきではないか、と考えたからだ。産業革命が日本に入るのと時を同じくして、太陽暦が入ってきた。以来、太陽の明るく健康的で力強く前進する姿は、本という国が目指す方向と一致していた。同時に、産業の発展を優先させたが故に、忘れ去られてしまったのが月である。しかし、月には微妙な生命のリズムをコントロールする力がある。また、人々は月の生み出す陰影の中に、豊かさを見出していた。
  • ここで、モノと人の関係を考え直す必要があるのではないか。産業デザインの課題としては、おそらく、モノに心を宿らせるにはどうしたらよいか。その方法についてしっかり考えるべきだと思う。その答えのひとつは、とにかく長く使えるモノをデザインするのが大事である。心を込めてしっかりと作り込む姿勢である。
  • さらに、都市デザインについては、都市は利便性を追いかけるだけではなく、自然とのコミュニケーションを取り戻すようなデザインを、積極的に取り入れるべきであると提案したい。自然を取込む術である。
  • 僕のこれからのデザインに対する姿勢として纏めると、次のようになる。
  • これから本当に必要なものは、人を驚かすような画期的なデザインではない。デザインはますますグローバル化する社会を前に、そこに住む人々の歴史や文化に根付いた精神的な豊かさを再構築する時代を迎えている。この精神的な豊かさのある環境を Spiritual Environmentという言葉で捉えてみたい。

若手デザイナーが育つ環境って?…デザイナーのシゴトの理想と現状

川上 佳代
今日は私が日頃感じている、身近で日常的な問題について話してみます。それは、若手デザイナーが育つ環境とはどういうものなのか、或いは、憧れを持って見ていたデザイナーの仕事と現状はどう違うのか、また、楽しく高いモチベーションをもって仕事を続けていくにはどうするべきか、などという問題です。
デザイナーというのは、名前からすると非常に華やかなイメージがあって、憧れを持ってこの世界に入ってくる若者も多いのですが、一方、一年以内に仕事の壁にぶつかって辞めてしまう人も多い。何故なのでしょうか。先程山田さんも言われたように、デジタル化や情報化が進み非常に忙しくなって来ました。本来デザイナーは、クライアントの要望に応じて、マーケットに売り出したい商品とか情報を、より判りやすく美しく訴求できるビジュアルとか広告手法を考えて、制作するのが主な仕事なのに、実際は、それを提案した後の修正とか印刷に関わるデータの管理、メールのやり取りなど細かい雑事に忙殺されて、クリエイティブな愉しさを見出すことが少なくなっています。特にそういうオペレーション的な仕事は若い人に集中しがちで、クリエイティブな愉しさに出会う前に疲弊して、せっかく入った業界を去ってしまうという例もいくつか見てきました。
グラフィックの場合、デザイン事務所の多くが人数は少なく、社長やチーフも現役のデザイナーとして自分の仕事を抱えて多忙を極め、なかなか若い人に密着して教えることもできず、主にコンピュータに向かって仕事をするので、コミュニケーションも少なくなっているし、メンタルな面でも支えてやることが難しくなっています。これらについて疑問に思いつつも、毎日の目先の納期を守ることが最優先になって、精神的なクリエイティブな豊かさも失ってきているように思います。
過去、高度成長期からバブルの時代まで、多様なモノを製造し消費し、そしてモノを手に入れたいという欲望を叶えるために皆が頑張っていた時代には、広告も直截的で華やかなものが多く、デザイナーという仕事も脚光を浴び、コピーライターや広告代理店の仕事と併せて、デザインという仕事も憧れの仕事としてランクインしていました。 現在の女子高校生のやりたい職業のランキングを見ると、思いの外堅実で安定した職業が上位を占め、これも世の中を反映しているのかと思います。20位までにデザイナーはありません。男子高校生のランキングも同じように堅い職業がランクは高いようです。中学生のやりたい職業ランキングのなかには、18位くらいに車のデザイナーが入っています。グラフィックデザインが憧れの職業から外れていったのは何故でしょうか。現在、中学校や高校からキャリア教育と称して、いろいろな職業の方を学校に招いて、職業体験談を聞いたり、自分の職業観を養うという授業がされています。その中で、グラフィックデザイナーというのは、結構しんどくって、休みもなく夜中まで働く割には、あまり儲からないということがバレてきています。これはこのままでいいのか、と思います。今もデザイン専門学校はあるし、デザインを志して業界に入って来る人もいますが、学校で、夜も帰れないし休みも無いぞと相当脅かされてやって来ます。泊まる覚悟はありますと言って入ってくる人もいます。ただそれが正しいのかどうか。最初は好きなデザインだから頑張るけれど、毎日文字の修正をして、眼も疲れる、眠くもなる、きれいなビジュアルを創ることも少ない。また、そういう経験を積まなくては、デザイナーとして成長していくことはできないというこの状況を、なんとか少しでも変えてあげたいと日頃思っています。
これに結論はないけれど、先程納島さんが紹介されたADCも、若手のデザイナーが力を試す良い機会だと思いますし、様々なコンペも行われており、積極的な人はそういうものに参加して、自分を試していますが、やはり、自分で自分の作品を制作する余裕すらもらえないというのが、多くのデザイン事務所の現状ではないでしょうか。 インダストリアルの世界では、特にメーカーのデザイナーは、労働基準局の監視も厳しく、仕事は残っているけど帰らなくてはいけないという日もあるそうですが、そういう無理やりにでも帰らなくてはいけない日を設けるのもいいかと思って、ノー残業宣言デーをやってみましたが、結局はどうしてもやらなければならない仕事を投げ出しては帰れないということで、成功していません。
大手企業であれば、入社直後に研修があって、ビジネスマナーや業界の基礎的な仕事の流れを教えてもらったり、心構え的なことを身に付けることもありますが、弱小デザイン事務所では、極端に言って手足になって働きながら覚えるしかありません。また、生産しないスタッフを抱える余裕もありません。でも、憧れを持ってグラフィックデザインの業界に入ってきた若者をなんとか留めて、未来ある業界を保ちたいと思っています。
そのための具体策として、SOHO 総研という、SOHOと企業の橋渡しをしている会社が、内閣府の認定を受けて実施する“プロに学んでプロになる、弟子入り型即戦力養成プロジェクト”に参加することにしました。2ヶ月間の無給無料のインターン制度で、今月初めから1人を受け入れ、実務をこなしながら研修を行っています。受け入れ側としても、将来の人材確保と活気ある職場のために、何をしていけばよいのかを勉強する良い機会と考えています。
もう一つは、テレビで見たのですが、ある100人規模の会社で、新人の一年以内の離職率が40%に上るのを何とかしようと実施した対策です。そこでは、課内の5年くらい先輩を“親”、他課の3年くらいの先輩を“兄弟”、全く関係ない課の同期の人を“従兄弟”と位置づけました。すると、離職率は5%に低下したというのです。私の事務所では人数が少なくてこうはいかないので、同業者のなかから先輩や同年輩をみつけて、個人的な相談や付き合いを促進することを考えています。
もう一つの課題は、女性の定着率です。グラフィックデザインも学生の時は女性の方が多いくらいですが、実際に業界に残って続けていく女性は少ないのです。原因は結婚と出産です。小さい事務所では、大企業なみの育児制度、時短、フレックス制度などを作るのは出来ないでいます。
実情はこうなのですが、なんとかクライアントと納期に振り回されずにクリエイティブを楽しくすることができて、信頼も失わず、メンタル的な面もフォローできるような、若手が働きやすい環境を作りたいと思っています。

主な質疑応答

(Q=質問 A=答え C=意見、提案)

納島さんにお尋ねしますが、Webデザイナーの領域が拡がって、グラフィックデザインの領域まで進出して来ているとのお話ですが、実際にはどういう仕事の領域をやっていますか? 広島辺りでも同様でしょうか?

私のところでは、両者のカテゴリーを分けません。Webデザインにおいてもグラフィックの技術は本当に必要です。いわゆるビジュアルコミュニケーションということで、何ら変わりません。線引きするのはナンセンスだと思います。最近はブランディングデザインの仕事も多くなっていますが、そこでトータルなVIをさせてもらう場合は、パッケージ、Web、ポスターなど全てをトータルにコントロールできないと、パーツ毎にしか請けられません。企業を元気よくするためには、企業の不足分をデザインで補うというのが私の持論なので、カテゴリー分けはしません。

川上さんから「なんでこんなに遅くまで仕事しなけりゃいけないのか」っていう話がありましたが、これに関連して一言。「時間というのは、どの時点をとっても均等な早さで刻む」という概念は、まさに太陽暦のもので、時計とともにこれが入ってきたのは数百年前です。月の動きというのは、これとは違います。 嘗てわれわれの祖先は、時間とは伸縮するものだという考え方を持っていました。例えば、「アッという間に朝が来ていた」などという残業は、ある意味では残業とは言えないとも考えられる訳です。何しろアッという間に過ぎる時間というのは、楽しいに違いないからです。苦しい仕事なら、時間が物凄く長く感じられる筈です。このように、時間というものが伸びたり縮んだりするということを、デザイナーは一番知っているべきで、それによって快適な空間をつくったり、時間を自在にコントロールできるのがデザイナーの仕事でしょう。特にフリーランスだったら、時間をコントロールし、楽しく仕事をすることができると思います。

仕事が楽しくない訳ではないのです。ただ、限られた時間内にやらなくてはいけない仕事が、短納期であるが故に、多すぎる気がします。確かに毎日はアッという間に過ぎていきます。これからは、みんなが楽しくてしょうがなくて仕事をしていると認識して、接していきましょう。

ちょっと異論があります。デジタル化に伴ってシンドイ人はシンドイですよ。というのは、デザインではない嫌いなことをやらされているという気分の人がいるわけです。デザインはコミュニケーション作業なので、クライアントのことを本当に考慮できないで、単純な労働になってしまうと潰れてしまう。その仕事の意義を、先を見据えて考え、クライアントにとっての貢献をイメージしつつやると、大分違うような気がします。ちょっと綺麗ごとに過ぎるかもしれませんが。

8年前に会社勤めを辞めて、以来フリーランスとして一人でグラフィックをやっているのですが、この仕事は、謂わば狩猟民族の生き方なのです。農耕民族である企業内デザイナーの場合は、時計や暦が生活のリズムを支配しているのに対し、フリーの場合は、ちょうど狩りが終わるまでは休みが無いように、作品が完成するまでは仕事に終わりがこない訳です。そのかわり、仕事が終われば、次の仕事が入るまでは、全く自分の好きなように時間を使えるのです。夜も昼も無く自由な生活パターンには、それなりの良さがあるものです。この狩猟民族的な楽しさをアピールするというのも、若い人達を惹きつけ納得させる手段になり得ると、個人的には思いますが。

狩猟でも、チームプレーでやらねばならない場合があるので、その場合は時間的な軸が必要になると思います。

農耕ではなくて狩猟というのは、ちょっと乱暴な気がします。歴史的に見ても、確かに最初は狩猟で食料を得ていたのが、それではたくさんの人間が喰っていけないというので、よりシステマティックな農耕という手段で、ものを調達するようになり、やがて現在のような社会になったのです。会社を経営していくにも、狩猟ばかりでは立ち行かなくなりますよ。むしろ、農耕であるビジネスの中に、狩猟的面白さをどう見つけられかというのが、テクニックの要るところだし、その辺の事情を若い人達に説明していく必要もあると思います。 もうひとつ、時間の軸をコントロールするものに、美というものがあります。美しいものがそばにあると、時間はアッという間に過ぎるし、醜いものがあるとなかなか時間が経たない。何故かというと、美しいものには何故美しいのかを追求したくなる気持ちが常に働くからです。もっと近づいて調査したい、どうしたら近づけるかと考えているうちに、どんどん時間が経つのです。だから、そういう風に時間をコントロールできるような美しいものを、これからは作っていくべきだと思うのです。

Webデザインについての考えですが、Webデザインの世界はちょっと危険な気がします。というのは、私は仕事をする時に、自分自身の精神的な支柱というか、何かぶれない思想を持って戦っていきたいのですが、現在はそれを探す時、すぐにネットを検索して、自分の外に答えを求めるような社会になっています。しかし、実は本当の情報というのは、幼い頃から積み重ねられた美しいものに対する感動のように、自分の内にこそあるもので、そういうものを取り戻す行き方をとらないと、重要な情報は得られないと思うのです。Webデザインというのは、情報を世の中に向かって大量に出し続けている訳ですが、そのWebデザインの中身が、どうしたら意味ある情報になるのかを、JAGDAの人に答えて欲しいのですが。どうもWebデザインの情報は信頼できるものが無いように思うのです。

Webデザインには信頼できる情報が無いとの指摘ですが、Webというのは5感ではなく、視覚と精々聴覚による2感によって行われています。そこに危うさがあると思います。つまりは、アナログでないものは信じられないということでしょう。これを改善していくためには、Webデザインも極力双方向のコミュニケーションを重視した手法、またユーザーのことを本当に考慮した仕組みにする必要があるでしょう。ということは、逆に表現はシンプルになると思います。

たしかにWebデザインはここに来てシンプルになってきています。そしてシンプルになった分、よりインタラクティブさが求められるようになっています。だから格好良いデザインを作ったのではダメで、とにかく双方向で意見がいえる、例えばSNS(Social Network Service)のような、要は双方向のコミュニケーションツールが流行りつつあります。

今までのところ、どうもグラフィックの方がIDに較べて、若い人の定着率が低いとか、満足度や仕事の楽しさが少ないと思っている人が多いように感じるのですが、JAGDA関係の方で補足のご意見がございませんか。

このグラフィック業界に 20年近く居り、3年前に独立して現在フリーランスですが、確かに収入面では厳しいとは思っていますけど、仕事は毎日楽しいです。サラリーマン時代もコスト面だとか、中間管理職的な仕事もしましたが、会社に行きたくないなどとは思ったこともないし、余りネガティブには考えてないので、悲壮感はありません。今日の話を聴いていて、IDとグラフィックの業務では、発注から納品までのワークフローの違いとか、ギャランティーの違いやいわゆる権利に対する意識の差があって、グラフィックの場合は「やらされている感」が業界にはびこっているのかなという感じがします。グラフィックデザイナーというのは、広告を作って社会に発表しても、そのレスポンスに対して責任を取らなくてもいい訳です。ということは、ある意味でデザインに対して無責任でいられるということです。この無責任でいられるということは、当然ギャラにも反映しています。IDの場合はどうなっているのかは分りませんが、グラフィックの現状を受け容れたうえで、取り敢えず毎日が楽しいと思っています。

IDも結構毎日が苦しい場合もあると思いますが、IDの方ご意見をどうぞ。

IDを長くやっていますが、続ける理由はあります。大体はIDも楽しくないのです。95%は楽しくないですね。嫌なこと、例えば費用を値切られたり、嫌な仕事を押し付けられたりといったことを呑みながら、それでも途中で投げ出さなかったという誇りがひとつ、これはある種の楽しさに転化できることです。もうひとつは個人的には大きなことですが、大体においてデザインというのは、始める前の条件はデタラメで矛盾をかかえた部分が多いものです。その矛盾だらけでどこから手を付けるべきかも分らないもつれた状態から出発して、ある程度形が見えて来る段階に達する過程、つまりお互いの意志の疎通ができかかった時点までは、全工程の1/3くらいですが、ここまでは楽しいものです。それ以降の生産のための雑用や調整の業務は楽しくはありませんが、最初の謎解きの部分は、自分独特のある種の個性の発揮が自覚でき、楽しくもありまた 次に?がるエネルギーともなるものです。

先程、グラフィックデザイナーの責任の軽さについて発言がありました。私も、IDとグラフィックを比較すると、デザイナーの仕事の結果がどこまで及ぶかという点で、責任の重さに違いがあると思います。IDの場合は、商品となっても極端に売れなかったり、ユーザーに渡った後も、例えば不具合や欠陥が生じたりすれば、プランナーを含めてデザイナーも責任を感じなければなりませんが、グラフィックの場合は、商品や情報をユーザーに知らしめることが目的なので、極端にいえば、誤解を与えるような広告を作らない限り、責任を問われることはないといえるでしょう。

私は長く車のプランナーとして物造りに携わってきて、現在はWebの会社でグラフィックを扱っています。いわば両方を経験しているのですが、物造りからWebに移る時には、実から虚の世界に入っていくような気がしたのですが、実際にやってみたらちっとも変わらないなというのが実感です。何故同じかというと、実はエンドユーザーは同じなのです。製品が語りかける相手も、グラフィックが語り掛ける相手も同じユーザーなのです。そこで、先程の「責任が有る、無い」の議論への反論になるのですが、現在Webで問われているのは責任です。実は、Webサイトを作ってWebに載せた瞬間からが始まりです。作ったら終わりではないのです。そこからクライアントに対して責任を持って、クライアントの心を伝え、そのモノやサービスによって、ユーザーの生活にどんな満足が与えられるかを、どこまで伝えられるかが勝負です。更にその後も、ユーザーからのレスポンスが日々返って来ますから、どれだけクライアントとユーザーの間にコミュニケーションが取れたかが分るわけです。それに対して全部責任を持って対応しなければなりません。日々デザインやレイアウトや言葉も変えていかなければなりません。実はそこでお金が貰えるのです。今は、制作費よりその後の方がコンサルティングとしてお金がたくさん入ってきます。そういう意味で、物凄く責任が有るのです。ところで、忙しい忙しいという話ですが、なんで忙しいのでしょうか。それはクライアントからやり直しとか変更がたくさん入ってきて、スケジュールがタイトになってくるからですが、実はクライアントとの間で、最初がきちっとできていない。目的、コンセプト、ターゲットユーザーなどがはっきりしてないからで、これらをきちっと決めておけば、そんなに狂わないでデザインは出来てしまうものです。このマネジメントがデザインにとっては非常に大事なのですが、発注書を出すクライアント側にその力がない。出来上がらないと判断できない。そこで、我々が相手の気持ちになってきちっとマネジメントをやってやれば、そんなに無駄な時間を費やすことなく、もっと面白いクリエイティブなところに時間を使い、やればやるほど評価も上がり儲かるわけです。この部分のマネジメントが最も大切なのです。

全く同感です。IDの場合はモノを作るので、人の命にまで関わるような責任がある訳ですが、我々グラフィックの場合は、企業の生き死にに関わる責任があると考えます。フラットなちらしやハガキだけを手がけているデザイナーはそれなりですが、本当に企業の背骨まで入っていって、経営者と対等に渡り合い、曲がった背骨を真っすぐにできるデザイナーが生き残るのは当然だと思います。

今日は、デザイン業の現状がかなりよく見えてきたのですが、未来を考える時、クライアントとのチカラ関係が問題です。クライアントの力がデザイナーより上にある場合はたいへんなのです。どうしたらクライアントより上に行けるかということを、常に考えている必要があります。先程東京の著名なデザイナーって話が出てきましたが、それはチカラ関係でしかないのです。やっぱり地方にいると力が弱いと思われているし、本当にそうなのかも知れません。それを越えるにはどうしたらいいかを考える訳ですが、例えば何かを頼まれた場合、ただ頼まれたものを形にして渡すだけでは、もうデザインの仕事は成立しないのではないかと思います。その時に何か別のものを渡して、「流石ですね!」とか「あれ!」とか「眼から鱗が落ちた!」とか、何か一言クライアントに言わせなくては、上には立てないのではないでしょうか。それが思想とか生き方であれ、なにか本当に今大事にしなければならないものは何かというメッセージぐらいは、どんな仕事であっても、返すものの上に載せて提供しないかぎり、チカラ関係は変わらないと思います。時には、たった一言がえらいクライアントを変えることもあるし、その関係が大きく逆転することもあり得ます。自分の中にそういう力を持つためには、東京や中央を見るのではなく、或いはネットの中の情報で最新のものを探すようなやり方ではなく、この広島なら広島、或いは自分の内側といったところを探っていかないと、デザイナーの力はつかないと思っています。

閉会の挨拶 JIDA西日本ブロック 大橋 啓一

最近ある美学者がいっていた言葉ですが、芸術はもう崩壊しているというのです。というのは、価値が判らなくなっているからです。それはやはり情報化から来ているのです。芸術がもはや創造ではなくて選択になってしまっているというのです。 同じことがデザインの世界にも来ていると思うのです。ものごとを選び、決定するだけでデザインをしたと思い込んでしまう。創造こそがデザインだということを忘れてしまっているのです。 今日はいろいろな話が出てきましたが、次のサロンについては、JAGDAとJIDAで協議して、より未来に向けての創造的な発言を期待できるように、計画したいと思いますので、是非ご参加下さい。本日はありがとうございました。 

以上文責 内田 亮

更新日:2011.08.25 (木) 08:43 - (JST)]
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