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‘08年度第2回デザインサロン

JIDA西日本ブロック/JAGDA広島 ‘08年度第2回デザインサロン
分野を超えて語り合う「グラフィックから見たプロダクト プロダクトから見たグラフィック」

3月25日(水) 19:00~20:50

会場 :広島市まちづくり市民交流プラザ マルチメディアスタジオ

参加者:28名フリーランス・インハウスデザイナー

発表者
斉藤 克幸(さいとう かつゆき/JAGDA)比治山大学 短期大学部 美術科 準教授
 グラフィックから見たプロダクト

須藤 将(すとう すすむ/JIDA)(有)パラガン 取締役社長
 プロダクトから見たグラフィック

モデレーター
川原 芳夫(かわはら よしお/JAGDA)ディレクター Webコンサルタント

概要

はじめに2名の発表者から、それぞれのタイトルについての意見発表があり、引き続き、参加者も巻き込む形で質疑応答をおこなった。 斉藤氏からは、日常、工業製品を購入し使用している一消費者の立場に立って、現在及び過去の製品デザインに対する思い入れ、拘り、不満、疑問が直截に表明された。そして、スタンダードデザインこそ、工業製品が目指して欲しいデザインであるとの主張が語られた。 須藤氏は、工業デザイン、商業デザインの業務を長く経験し、現在はウェブデザインに携わっている自己の立場から、狭義のグラフィックに限定することなく、特に隆盛の一途にあるウェブデザインを中心にその現状と問題点を解説し、関係者の意識改革と総合的なマネージングの重要性を指摘された。

質疑応答に入ると、スタンダードデザインとは何か、から始まり、パソコンに拠るデザインの類型化、美なるものの基準崩壊と個性尊重のためのカスタマイズ等々、予期していなかった議題が続出した。時間の関係もあり必ずしも議論は尽くされたとは言い難い。

最後に、モデレーター(川原氏)とJIDAブロック長(田中氏)より、来年度に向けて、当サロンを進化した形で継続発展させていきたい旨の意思表明があり、閉会した。

発表内容

斉藤 克幸 グラフィックから見たプロダクト
確か一昨年の夏は猛暑だったのですが、我が家の冷蔵庫が故障してしまいました。そこで急遽代わりの冷蔵庫を量販店に買いに行ったのですが、実はいままで家電製品を買う時、嬉しくてしょうがないといったことは経験したことがありません。どういう点かといえば、勿論デザインについてです。我が家にある家電製品を見渡しても、デザインが気に入って買ったのは、デロンギのオイルヒーター、それもオーソドックスなスタイルのものが2台あります。他にもデザインが気に入って買った家電製品はいくつかありますが、大抵は我慢をして買っているのが実情です。
こんな風に感じているのは恐らく少数派とは思いますが、十数万円もする冷蔵庫を買うのに、不愉快を買ってしまうというのは、悲しいことです。本来お金を使うというのは、一種の快感でもある筈なのにそれも得られないわけです。
実際量販店に行ってあれこれ見ても、案の定これはというものはありませんでした。そこで、どういう選択条件で選ぼうかと考えたのですが、聞くところによると日立はモーターが良いとの話なので、非常にデザインが気に入ったわけではないのですが、直ぐに必要ということもあり、日立製にしました。店にはグレーの商品が置いてあったのですが、白もあるとの由、白を注文しました。配達された商品の梱包を解くと、それは白とはいえない明るいグレーでした。その上よく見ると、表面にラメのような細かなテカテカが入っていて、その時期の流行だったのかとも思えますが、さらにガッカリしました。家電製品を買う時のいつもながらの悲しい買い物でした。
日本製に満足できないのなら、外国製にすればとも思うのですが、値段が高いとか、購入ルートがしっかりしてないとか、それに外国製のものは壊れ易いというイメージがあります。実際壊れたら修理費が高くつくでしょう。車も今は日本製に乗っていますが、その前2代は外車でやっぱり高くつきました。日本で日本人が生活していく上では、やっぱり日本製を使う方が様々な面で便利だということです。
私の基本的な考えとしては、生活の中で家電製品は黒子であるべきだと思います。それ自体が存在感を主張するものではなく、目立たず静かに便利な生活を支えてくれるだけで良いと感じております。すくなくとも日本では、家電製品が生活の景観の中で、デンと主役を演じるべきではなかろうと思っています。そして、家電製品のデザインは、抽象的ですがスタンダードなデザインであるべきだと思います。スタンダードデザインとは何かといえば、素人の言葉ですが、必要最小限のデザインである、と感じています。量販店で大量に家電製品を売ろうとすれば、どうしても、流行や派手さを考慮に入れたデザインになるのでしょうが、余計なものを排除したスタンダードデザインが欲しいなと思います。性能は向上しても、基本的な形は30年も変わらないものが欲しいのです。そして、多少傷ついたり凹んだりしても、修理しながら長く使い、愛し続けられるデザインであって欲しいものです。切羽詰って量販店で家電製品を買う時、エンジニアが設計したら、余計なものを付加せずそのまま製品化して下さいと、いつも切実に感じます。
戦後60年以上経った現在の日本は、文化的にも成熟して来ており、戦後文化としての重層性も充分に形成されているのですから、デザインもうわべの派手さや流行を追いかけず、静かで落ち着いて実質感があるものに変わっていくべきだと思います。そして洗練されたスタンダードデザインの国として、世界に誇れる国になりたいものです。

須藤 将 プロダクトから見たグラフィック

私は、マツダで車の基礎設計、プラニングからスタートし、その後主査補佐として実際の開発を何台かやり、さらに広報、海外宣伝を担当しました。ですから、プロダクトデザインもしましたが、グラフィカルな業務も相当にこなしてきたといえましょう。その後90年代の初めにインターネットとの出会いがあって、その将来性を直感し、マツダを退社し現在の会社を興しました。最初は仕事もないし、プロバイダーさえ広島には無い状況で、半年がかりでアーバンインターネットを立ち上げました。当時は、インターネット関係の人材が殆どいなくて、大変な苦労をしましたが、何とか人を育てながら、少しずつホームページ、いわゆるウェブサイトの仕事を受注してやってきたという訳です。従って私自身がグラフィックをやっているので、これからお話するのは、対象としてのグラフィックについてではなく、私自身にたいしての注文でもある訳です。 レジメにも書きましたが、現在ものすごい変化が起こっています。それは広告界に於ける新聞と雑誌の凋落に対して、インターネットの興隆が著しいということです。昨年日本の総広告費は6.7兆円で対前年比4.7%減と5年ぶりに減ったのですが、マスコミ4媒体(新聞、雑誌、ラジオ、テレビ)では7.6%減です。中でも新聞は12.5%減、雑誌は11.1%減と大きく、ラジオ、テレビも夫々7.3%減、4.4%減となっています。2桁の減少というのは大変なことで、アメリカではもう新聞が成り立たなくて、廃業に追い込まれているという状況です。地元の新聞社も苦戦しています。
これに対して、インターネットの広告費は約7千億で対前年比16.3%増となり、既に雑誌を超して、今年中には新聞とクロスすると予想されます。このような背景もあって、新聞や雑誌のグラフィック広告に従事してきた方々は、かなり厳しい状況に置かれているようです。受注が減ってきている、もしくは単価が下がってきているからです。そうした中でグラフィックの人達は、インターネットが伸びているので、2次元空間からウェブ上の仮想空間へ進出していく訳です。ある意味では取っつき易い内容ではあります。ですが、初期の段階では、2次元空間の手法を、そのままウェブサイトに展開するという形が非常に多かったようです。今でも見られるのですが、2次元で作成した画像をそのまま画像データにして貼り付ける、つまり1画面全部が画像であるという手法が氾濫して行ったのです。これをやると、本来テキストである文字の部分も画像データとして処理されるので、データ量が非常に多くなる訳で、表示に時間が掛かるのです。実は3秒ルールというのがあって、見る人は3秒までは待つけれどそれ以上経つと、他へ行ってしまうのです。現在はブロードバンドでそういうものでもかなり早くなったのですが、別の問題が起きています。それは2000年頃から検索エンジンの性能が向上し、今では、ユーザーが見る80%以上情報は検索エンジンを通じて出ているのです。ということは、どんなに苦労して上質なHPを作っても、検索エンジンで上位に掲載されなければ、見てもらう機会が非常に少ないということです。(画像データは検索エンジンに掛からない。)つまり、画面の見た目の質だけではなく、その画面のデータ構成が検索されやすいものになっているか、が問題なのです。他にも制約条件や効果的な手法もありかなり複雑です。こうなってくると、従来のグラフィックを作ってきたデザイナーにとっては、難しいのではないかと思います。これは表から見ても分らないので、結果的にクライアントの損失に?がっている場合も多いようです。
車のようなプロダクトを扱ってきた視点から見たもうひとつの問題は、PDCA(Plan. Do. Check. Action)サイクルです。プロダクトは作ったら終わりではなく、アフターケア、不具合の対応とか改良と、どんどんとPDCAを廻していって、次の新車開発に繋げていきます。一方グラフィックの場合、今までは、新聞雑誌に広告を載せたら終りということが多かった訳ですが、その考え方でウェブサイトも捉えていくと、ウェブサイトを載せたら終りということになるのですが、実は、ウェブは載せたところが始まりなのです。それを活用してどうやって事業目的に沿うようなサイトにしていくかが重要なのです。そのためにはPDCAのCとAに重点をおいて、無料で使える分析ソフトを活用するなどして、アクションプランを立てて、何回もPDCAを廻していくのが大切です。とはいえ、ウェブサイトで最も大事なのは、やはりグラフィカルな部分です。先ずパッと見が大切で、これを疎かにはできない。ではどうしたらよいかというと、プロデューサー、マーケッター、そしてデザイナー、更にはコーディングするメンバーがチームを組んで仕事を進め、夫々が得意領域でやっていくことです。つまりトータルのプロデュースをする人間がいて、アートディレクターがいて、アートの部分をきっちり押さえて、組織的にやっていくのが肝要です。
最近はクラウドコンピューティングになってきて、ソフトもハードもコンピュータの向こう側にあり、ソリューションのアプリケーションも非常に安い価格で提供される時代になってきました。そしてこの仮想空間はネットとサービスの時代になったのですが、その中でデザインをどう考えるか、私自身結論はまだ出せないのですが、サービスとしてのデザインとはいったい何だろうかということを、今日は皆さんと考えてみたいのです。

主な質疑応答

(Q=質問 A=答え C=意見、提案 M=モデレーター)

まず、プロダクトから見てグラフィックに対して、こうすれば例えば購買率が上がるのじゃないかなどという手法の提案はないですか? 私もグラフィックデザイナーですが、最近は格好はいいけど意味不明なポスターや広告がやたらに多い気がするのですが。

たしかに分りにくい表現が目に付きます。それはきっと、お客のことを考えていないというか、客の目線に立っていないのではと思います。しかし、何をお客さんに伝えたいのかというのがある筈で、そのために敢えて、判り難い抽象的な短いキャッチを使うという手法もあるでしょう。そして、今新聞や雑誌の広告の主流は、クロスメディアです。単独にチラシやポスターを出すのではなく、それらを使ってウェブサイトに誘導したり、そこに表現されたイメージについて興味を持てば、お客さんはウェブで検索をかける訳です。マスメディアに出した広告の効果は、直ぐにウェブサイトで変化として測定できます。ですから、広告の紙面に描かれた言葉だけではないとは思います。

良くわかりました。補足ですが、以前富士通のパソコンのCMで「地底人」っていうのがあって、地底人が何なのかはよくわからないのでパソコンで調べると、新しいパソコンだと判るというのがありました。昔は、商品ができて広告を作り、チラシを流して終わっていたのが、最近の主流は、広告でウェブに誘導したり、チラシを見せてラジオを聴くなど、多様なクロスメディアの活用ということで、逆にそういう業務に携わっている人が今儲かっているということです。またディレクターのような職種が重要になってきたということです。

先ほど、グラフィックデザイナーがウェブを苦手にしているという意見が出ましたが、確かにグラフィックデザイナーが追求してきた美の世界と、ウェブの世界はかけ離れたものだと思います。例えばポスターの場合、デザイナーは決まった紙面の中をいかに完璧にレイアウトし、揺ぎ無く、文字の大きさも細心を払って決めていくのが、職能であったわけですが、ウェブになると、見る人の環境によって変わるわけです。例えば眼のわるい人は文字を自由に拡大して見ます。デザイナーがどんなに美しいものを創っても、見る人の都合で変えられてしまう訳で、そういう点で苦手感が有るのではないでしょうか。そこで、純然たるグラフィックデザイナーがウェブをこなしていくのではなく、須藤さんのような、いわば第3の流れが出てくるのが自然ではないかと思うのです。

今日のテーマは大変興味深いものです。JIDAすなわちインダストリアルデザインと、JAGDAグラフィックデザインの役割が違っているということを、最初にしっかりと整理したうえで、議論していったら面白くなると思っています。前段をちょっと整理すると、インダストリアルデザインというのは、モノを扱ってきた訳です。それは人類が猿から進化して人になり、道具を作ったその瞬間から始まっています。時を同じくして人類は言語を獲得した訳です。言葉、即ち情報というものを扱うのは、それはJAGDAが延々とやってきたことだと思うのです。ですから、お二人の話は、情報というものから見たプロダクト(モノ)のあり方、そしてモノ(道具)から見た情報の世界、と捉えると面白いかなと思って聴いていました。
斉藤さんの話は、最近のプロダクトは情報過多で、使うためのデザインというより、売るためのデザインであって喋り過ぎてる、スタンダードであるべきなのに、余計な情報がくっ付き過ぎであるということでしょう。もういいよ!っていう感じなんです。まさにその通りであって、モノはモノとしてシンプルに存在すればいいということです。スタンダードとは何かというのは、私にとっては興味のあるところです。同じことが須藤さんの話にもあって、インターネットというのはインフラに過ぎなくて、ウェブサイトという存在に、写真だ、動画だ、文字だとやたら色んなものが入ってきて、これだって伝えなければならないことはひょっとして、もっとシンプルなものかも知れないし、伝えたい情報はそれほど多くないのに、やたら余計なものを使って組み立てていくのが、今の情報の世界なのかなと思います。須藤さんの説明聴いていて、私には難し過ぎてさっぱり分らなかったけど、それもひょっとしたら、斉藤さんが言われた余計な話なのかも知れません。
そこで、改めてお二人に、スタンダードなデザイン、情報の世界に於けるスタンダードとは何なのか、といったことについて、お話をお願いしたいのです。

A(斉藤氏)自分が理解できないおかしなデザインが多いのは確かなのですが、でも探せば、世界の中にはなんとなく気に入るデザインを見つけることはできるのです。ですから、スタンダードデザインとはなんぞや? に対する答えも出ていると考えられわけですが、商業主義経済の中で我々が生きている以上、ある程度スタンダードから外れて、流行やファッション性に行かざるを得ないと、私は逆に諦めています。ひょっとすると、スタンダードデザインを欲しい人は、沢山お金を出しなさいということかもしれません。百人百様の好みがある訳ですが、私のようにデザインに対して拘りを持つ人は少数派で、多くの人はそんなにデザインを意識していないのではと、感じています。良く売れている商品についても、必ずしもデザインが良いから売れているのではなくて、ブランドやその他の要素で売れるという現実があるので、答えは簡単には出せません。

A(須藤氏)ウェブサイトの方は、基本的にはシンプルに伝えたい情報を表現するというのが基本です。そして表現形式の標準化も進んでいます。人々が見て一番分り易い文章構造はどういうものか、例えば、タイトルがあって、大見出し、中見出しが続き、その間に端的な表現の短いセンテンス、もしくは分り易い記号と短い単語またはセンテンスで、できるだけ分り易い表現を採るというのがウェブ標準で、そういう構造を採っているサイトを優れたサイトと評価するというのが、ヤフーやグーグルの考え方です。シンプルで分り易く使い勝手が良いサイトを作れば、グーグルやヤフーが評価してくれて、検索の場合上位に出てくることになります。ということで、徐々に淘汰はされて行くと思いますが、大切なのはそのウェブサイトの目的や役割が、はっきりしていないクライアントが非常に多いということです。マーケティング的にいえば先ずプロダクトがあり、価格があり、流通、プロモーションがあり、ウェブサイトはそのプロモーションの中の一つに過ぎないという、ウェブの役割をきちんと理解し、その役割に応じた目的をしっかり立て、ターゲットユーザーを見定め、シンプルに表現し、分り易い情報の伝え方を作るのが最良のウェブサイトのデザインです。実はこれが出来ていないところが殆どです。

斉藤氏に伺いますが、グラフィックから見たプロダクトという視点で、私は昔のソニーなど凄くいいデザインが多かったと思うのですが、最近のプロダクトのデザインは落ち着き過ぎているのか、デザインに金をかけないのか、ちょっと疑問に思うところがあるのですが、如何ですか。

正直良くわかりません。金をかけていないのですか?

それとも設計でCADを使うから皆同じようになるのでしょうか。

A(須藤氏)現在はCADよりもずっと優れたものを使っています。いわゆるデータベースというもので、自社のコンピュータで処理するとなると、膨大な容量が必要になるのですが、これがクラウドになれば殆ど無限大に使えます。とすれば、どんな情報でも全て入れておけばいい訳です。例えば、事故によるダメージと形状の関係から、構造による影響もありますが、ボンネットのカーブの取り方などはある程度決まってきます。そういうこともありますが、似てきたというよりも、昔は独自のカーブ定規を作って曲面を生成していたのが、今は適当に点をいくつか固定すればそれらを通る曲線や曲面ができたり、データベースに入っている形状データを呼び出してきて変化を与えれば、立体が出来てしまう。実際に手で描いたりカーブを作ったりがなくなり、数値の世界になってきています。もうひとつは、人の好みに対する感性工学というのが発達して、人間の感性を数値に置き換える、これをデータベースに入れ形状データと組み合わせることで、ターゲットユーザーに好まれる形状を創ることができる訳です。つまり、ディジタルデータ化が進み、データによってデザインがされる、これが良いか悪いかは別として現実です。これにお金が掛かるのか掛からないのかといえば、やっぱり掛からないのかな? 実際モノを造らなくても形は出来てしまうのだから。

今、プロダクトデザインというのは、性能とか機能というのは殆ど似通っていると思います。そしてデザインに求められているのは、何を伝えようとしているか、即ちメッセージ性だと思います。グラフィックも今の話を聴いていて思うに、色々な要素が複合的に絡んできて、出来上がっている。嘗て20数年前に、宇野亜喜良などのポスターを見て衝撃を受けたのですが、それは思想とかメッセージが他の世界から飛び抜けて際立ち、存在感があったからです。ところが今は、色々なものがクロスしているだけに、要素が氾濫していて他と区別がつき難くなっているのだと感じます。要はメッセージをどう伝えるかというところが、キーを握っているように個人的には感じました。

先ほどデータで作るからモノが同じようになってきているという話が出ましたが、プロダクトだけではなくて、グラフィックの世界でもそうなりつつあります。グラフィックは、中国語で言うと平面設計ですが、今グラフィックデザイナーがウェブやCMをやり出したので、グラフィックという表現はもう通じなくなりつつあるので、もしかしたら、グラフィックデザイナー協会ではなくて、コミュニケーションデザイナー協会に変わるのではとも言われています。データについていうと、クライアントも色々と情報を集めるようになってきて、マーケティングが主流になり、マーケットを徹底的に分析した上で広告を作るようになってきました。そうすると、広告もどちらかというとパターン化してきて、これが良いのかどうかは分らないのですが、似たような広告が多くなっているとは言えるでしょう。ウェブの方ではどうでしょうか。

私はウェブ関係の仕事を10年位やっていますが、コンピュータの中のデータというのは見えないものですから、見えないものを如何に見せていくか、最近のはやり言葉でいう「見える化」が仕事の中心と考えています。最近の家電製品はどっちかというと、見せない方向つまり「見せない化」のデザインが多くて、色々なメッセージを含ませることで、分らなくしているようなところがあって、斉藤氏のシックリ来ないという表現になっているのかとも思います。スタンダードデザインとは、もっとストイックにその製品が持つメッセージみたいなものを訴えることだと思うのですが、メーカーがそれをできないのは、色々なメッセージを織り込みながら、見せないようにすることでそこに付加価値を付けるということかと思います。一方ウェブの世界というのは、もともと見えない情報を如何に見せるかですから、同じデザインと言っても違う訳です。ですから、私の世界はちょっと違う切り口が必要なのではないかと思ってます。

昔聞いた話ですが、売れる車を作ろうとして、色々な人の意見を取り込んでデザインをしたら、全くなんの変哲も無いつまらない車になった、というのがありました。これについてはどうですか。

それは、皆の意見を集約することでは、デザインはできないということだと思います。ちょっと視点が違いますが、昔は絵描きとか作家などプロや有名な人が作ったものは、綺麗だとか芸術的だという評価が与えられて、皆がそう信用して見ていたのですが、今は違うのではないかという感じがします。今は、美しさは与える人が作るのではなくて、鑑賞する人や使う人が綺麗と感じるようになって、そこの価値観はちょっと変わって来ています。車というプロダクトも、デザイナーが作って、これは綺麗だから買ってください、という時代ではなくなったのではと思うのです。買う人が自分の感性で決める。ところが、それが昔のようにはぴったりと合わないのだと思うのです。

以前はポスター展があると、誰もが見て良いポスターと認めるものがあったのですが、今はひとりひとりが個性を持ち出して、感性が違ってきて、1位2位が付け難くなっています。グラフィックの方も、個々の個性に合わせてグラフィックを作るのが主流になっています。DMを打つにしても、データ分析してDMを何種類か作って、相手の個性や特質に合せたDMを打つ時代になった訳です。クライアントにもそれぞれ違う意見があって、デザイナーもクライアントの個性に合せたデザインをせざるを得ない時代なのでしょう。
ここでグラフィックの方の意見も聞きたいのですが、例えば広告の仕事をして、こっちは凄く良いデザインができたと思うのに、クライアントにぐちゃぐちゃにされた場合、どこまで折れますか。

現在ウェブデザインをやってますが、基本的にはお客さんにできるだけ従います。広告代理店の仕事もあり、間に何人も入る場合は、できるだけ自分に近い人達が仕事をし易いように、相談をして折れるというのが多い。一旦は自分の主張はしますけど、お客さんが満足しないと意味がないので、最終的には99%折れますね。

大手のウェブには自分でカスタマイズできるものもあります。但し、紙媒体はそうはいきませんが。世の趨勢はカスタマイズに向かっている様なんですが、車のカスタマイズの様子はどうなんでしょうか

私が実際に車のデザインをしていたのはもう30年くらい前で、随分変わってきてますが、ひとつはっきりしているのは、パソコン時代になる前は、メーカーがCADを使ってオリジナルなデータの作り方をやっていたのですが、パソコン時代に入ると、パソコンの機能としてのソフトが発達し、これによって、須藤さんが言ったように、数値的な意味での類似性が出てきました。もうひとつは、自動車という世界が今崩れつつあります。以前は、例えば「マツダはロータリーエンジンで未来を開く」みたいな各社はっきりしたコーポレートポリシーを持ってやってきました。しかし今や、ガソリンと電気が競合関係の時代と言えるのですが、最近ホンダがインサイトを180万円で売り出し、トヨタも対抗してプリュースを200万円に落としてきました。こういうテクノロジーダンピングに伴って、デザインもその中に巻き込まれつつあります。だからデザインは簡単になっているのではなくて、巻き込まれた中であがいていると言った方が本当でしょう。表に向かっては、デザイナーは一見アーティスト風にやっているとアナウンスしていますが、その実、裏ではデザイナーは設計者です。昔はデザイナーとクレイモデラーが信頼関係で立体を創り上げたのですが、今はその間にデータが入ってきたので、データをどう処理したら本当にきれいになるのかを、多数の関係者で議論しながら進めなければならないという、非常に複雑な体系に変わっています。結果的には、クライアントであるディレクターや社長の合意を取ることそのものに、物凄いエネルギーを使います。昔は個性化のために、限定車を作るとか、オプションパーツで対処できたのですが、現在はスタンダード1本を作るだけでも大変なのです。ですから、カスタマイズという手法でもって、市販のメーカーも含めたアフターマーケットの構成が大変な状況なのです。昔ほど単純でない代わりに、お客さんにとっては、訳の分らない格好の車が沢山出てくることになります。結局パソコンの世界が発達し過ぎたために、テクノロジーの世界が変わって来たと私は思っています。

時間が来てしまいましたが、今考えるとちょっと難しすぎたテーマだったのかなとも思います。もともとは「リアルとバーチャルについて」だったのですが、これは難しかろうということで、このテーマにしたのですが、こちらも難しかったようです。 最後に斉藤さんから、未来のデザインはどうなるべきか、について一言お願いします。

カスタマイズという話が出ましたが、今メーカーは万人向けに、不特定多数の最大公約数的なデザインをせざるを得ないわけですが、一人一人のために別々のデザインが作られる時代が来るというのが私の夢です。

ありがとうございました。
今日は難しい議題で頚を傾げる人もいると思いますが、これを次に?がる台として参考にさせて頂いて、将来的には更に大きな会合にしていくことを検討させてください。

● 閉会の挨拶 JIDA西日本ブロック長 田中 宏樹氏
今日の討議は面白かったし、恐らく半分以上のことは分らなかったのでは、また分らなかったからこそ面白かったと思うのです。つまり続きがあるという予感を与えてくれました。 スタンダードデザインというキーワードが出てきましたし、ユーザーの立場からデザインを考える視点と、須藤さんからはクライアントのためには、こうあるべきではないかという、逆の視点からの発言でした。私もデザインをやっていますが、クライアントと市場、即ちユーザーとの間で、どうバランスを取って行こうかと、常に悩みながら日々やってきました。今日はJAGDA、JIDAの共催によるサロンの2回目です。4月以降は恐らくこうした形で、さらにヴァージョンアップをしながら、一緒にデザインのことを考えて行き、その中に色々な立場の人を包含しながら、意見を交換していくことで、今日半分以上分らなかったのでは、と申し上げた事柄が、次第に自己の中で分って行く様になり、高度化されていくのではないかと思います。そのために今日をひとつの踏み台にして、新しいステージに来年度は入っていくことを期待して、挨拶とします。 ありがとうございました。

以上文責 内田 亮

更新日:2011.08.25 (木) 08:43 - (JST)]
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